2011年01月19日

無人のドリンク販売

blog_pic6857.JPG

神田駅近くの路地裏で無人のドリンク販売(100円は代金箱に入れてね)がありました。
ちょっと立ち止まって見てみたら、瓶コーラがあるし、一番右上のやつはもしかして・・・

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懐かしきプラッシーですやん!!
というのも、このドリンク販売が置かれているのはお米屋さんの店頭だったんですよ。

昭和40〜50年代の頃ってお米屋さんがケースで配達してくれてましたよね。
当時の瓶は細くウネウネした形状で底にはやたらと沈殿物が溜まっていた記憶がありますが、
久しぶりにプラッシーの名を見かけて嬉しかったです。
# ただ、気温が低くてど〜しても冷たいものを飲む気分にはならなかったのが残念・・・(^^;
posted by きーじぇい | Comment(7) | TrackBack(0) | 日常生活 |

この記事へのコメント
子供のころはプラッシーか渡辺のジュースの素くらいしかありませんでしたw。
Posted by とか at 2011年01月19日 09:42
どちらも憶えがありますが、さらにバヤリースオレンジとかリボンシトロンとか三ツ矢サイダーなんてのも。
Posted by 横着サイクリスト at 2011年01月19日 10:14
>とかさん
粉末ジュースもありましたねぇ〜
それが渡辺のジュースの素だったかどうかは記憶が曖昧ですが、
溶かさず舐めていたこともあったのは確かです!w

>横着サイクリストさん
バヤリースかなんかのCMでト音記号のストローがありましたが、
あれで飲むのが夢でしたw
プラッシーの姉妹品にはマリンカというのもありましたね。
チェリオ、ミリンダ、スカットなども子供の頃の思い出に残っています。
Posted by きーじぇい at 2011年01月19日 12:21
なつかしネタに参加させてください。
中学生の頃は部活帰りに7upを飲んでいました。
ちなみにプラッシーは、現在缶入りのものを、娘が愛飲しております。
Posted by アンプ犬 at 2011年01月19日 21:21
中学の時に都内から江ノ島までソロでサイクリングすることを、
姉も兄もやったので、兄弟の通過儀礼となっていました。
私も中学2年の夏に、ソロで江ノ島まで行ってきましたが、
食事するお金も無く、帰りにチェリオで、腹と喉を満たしたことを
今も覚えています。
往復120kmでチェリオ1本。当時30円だったかな・・
遠い夏の日の思い出ですね。
Posted by 三千 at 2011年01月19日 22:30
>アンプ犬さん
部活後の帰り道では安いチェリオを良く飲んでいました。
少年ジャンプを金曜日に早売りする街角の小さな商店でしたが、懐かしいなぁ。

>三千さん
それだけ走られてチェリオ1本だったとは凄いですね。
子供の頃は無茶が出来たというか、
純粋に冒険めいた行動を取れた当時の自分を羨ましく思える時があります。
Posted by きーじぇい at 2011年01月19日 22:51
なんだか、色々なことを思い出してきました。

・プルトップを分割して弓のように反動で飛ばして遊んだこと。
・付属の缶切り工具みたいなやつで2ヶ所穴あけて飲んだこと。
・アルミ缶を前後にグネグネして切断してミニ缶を作ったこと。

・・・などなど。
Posted by きーじぇい at 2011年01月20日 08:40

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